エッセイ「神社と祭りのつれづれ」ガムテープの千社札Essay

秋の例祭前に電話がかかってきました。

「秋祭りにお酒をお供えしたいねんけど熨斗紙(のしがみ)には何と書いたらよろしいか?」「献酒(ケンシュ)でお願いします」「酒はわかるんやけど、ケンはどない書くんやったかな」私は、手元の反故(ほご)紙に筆で「献」と書きながら、「左側が南で、右側が犬です」と答えました。

ありがとう、おおきに、と電話が切れた後、反故紙に残った自分の「献」の字をじっと見つめて、なぜ南へんに犬なのだろうと思い、白川静先生のぶ厚い漢字辞書、「字通」を開きました。
いきなりですが、「字通」によると、まず「献」の左側はそもそも「南」ではありませんでした。

何これ?という字で、これは「こしき」という器を表しているそうです。
どうしてこしきが南になったのかは「字通」に書いてありませんが、こしきの字が難しすぎて端折って書いているうちに南になったのかもしれません。ちょうど「天子南面す」の思想にも合っているし、それで定着したのでしょうか。

「字通」によれば右側の「犬」はそのまま「犬」を表しているようです。ようするに「器+犬」を表すのが「献」の字であり、その解釈としては、「犬を供する器」または「犬の血(犬牲)で祓い清めた器」となり、「字通」の著者、白川静先生は後者を取っています。古代中国では犬の血を塗ることによりそれを祓い清めるという呪術的な儀式が行われていたそうなのです。

いずれにせよ「献」の字は神や貴人に供するための器を表していて、そこから、たてまつる・ささげる・すすめる、と言った意味を持つ字になったということ。

へえそうなのかと思うと同時に、「どうして犬の血を器に塗ると、その器が清められたことになるのか?」という疑問が湧いてきます。いまの日本の神道では、ケモノも血も穢(けが)れとされているからです。

漢字ができた頃の古代中国の人のメンタルを知ることはできませんが、精一杯、想像力をはたらかせてみると…、犬は人間のいちばん古い友達で、狩猟の相棒として、時には防寒や食料として、人間に貢献してきた生き物です。一緒にいる時間が長いから、犬は人間にとって、他の動物とは異なる霊性を持つと考えられるようになった、あるいは、犬と人間との霊性は近いと考えられていたのかもしれません。だから、犬の血が使われたのは、人間の血の代わりとして、ではないでしょうか?
今、「献」という漢字は神に捧げるという意味になり、これを書いた紙をペタっと貼れば、それは「神への捧げ物です」というメッセージになります。清酒の一升瓶に「献酒」と書いた熨斗紙を貼れば、普通のお酒が、「(牲犬によって祓い清められた器に注がれた)神に捧げる酒」になり、神様への尊敬と親しみを表すものになります。泡盛でも焼酎でもビールでも同じで、もちろん物質的変化はしないけれど、存在の意味が変化します。献酒と書いて貼る熨斗紙も、のしあわびを二次元化したものです。

「献」の字は、命の犠牲を伴う祓い清めの儀式が、漢字一文字に変換されたもの・・・まるで埴輪のような発明です。そんな由来が知られなくなった今でも、「献」の字は、もともとの儀式が持つ呪術性を引き継いでいるのです。

神職をしていると、「雲」という字を書いてくれへんか、と頼まれることがあります。二階建て以上の家の一階に神棚を置く時、神棚より上を人が歩くことになってしまう。そんな時は神棚の天井に「雲」と書いた紙をペタっと貼ればそこは空であり天ということになり、神様への不敬は避けることができる、という一種のおまじないが、いつのまにか広まったものです。

これもまた文字によって物事の設定を変えることができるという、文字の呪術的効力を私たちが無意識に受け入れている証拠ではないでしょうか?

私のお仕えしているお宮では、夏から秋にかけて、毎週、秋祭りの太鼓の稽古があります。夕方から小さい子供、それから小学生高学年、夜になると「宮組」と呼ばれる大人たちが宮太鼓を叩きにわらわらと集まってきます。指導してくれるのは太鼓打ちの二タロー先生。小さな子供たちは、それぞれガムテープの切れ端に下の名前を油性マジックで大きく書き、それを胸に貼り付けて、稽古に励みます。先生が名前を呼びかけながら太鼓を教えられるように、という、生徒側からの配慮です。

優しくて面白い二タロー先生は大人気で、小さな子供たちの時間が終わると、みんな自分の名前が書いてあるガムテープをはがして、先生にペタっと貼り付けて帰っていきます。コロナ禍で、稽古後の鬼ごっこやだるまさんころんだができなくなっても、子どもたちはこうしたほんの一瞬のちょっとしたスキンシップをしてくるのが可愛いです。稽古が終わると先生の体は千社札を貼られたように名前だらけになってしまい、ガムテープをはがすのがたいへんで、一度はお尻に名前を貼ったまま電車で帰ってしまったこともありました。

ガムテープの千社札は、献酒と書かれた熨斗紙同様、二タロー先生への尊敬と親しみを表すものなので、私はちょっとうらやましく思うのです。

(2023年3月執筆)

著者プロフィール

岡田桃子(おかだももこ)/ 1970年インド国ボンベイ市(現ムンバイ市)生まれ

国際基督教大学(ICU)教養学部理学科卒業。大学卒業後は、東京でフリーの取材記者として活動。結婚を機に、2000年4月より片埜神社(大阪府枚方市)出仕。2002年11月より片埜神社権禰宜。

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