エッセイ「神社と祭りのつれづれ」古い神社の新しいお祭りEssay

「年刊 日本の祭り」に登場するお祭りを見ていると、地方色の豊かさに胸が躍り、旅をしている気分になれます。私の奉職している片埜神社は大阪府の枚方市に鎮座する小さな神社で、年間を通してお祭りがありますが、地方色があるのは大阪らしい「えびす祭」でしょう。

戎大神は渡来神である七福神の一柱で、海の向こうから釣り竿と鯛を抱えてやってきて、私たちに富をもたらす福の神です。昔は商取引といえば港が中心でしたから、港に渡来された戎大神が商売繁盛全般の神様になり、商人の町大阪で「えべっさん」と呼ばれ親しまれるようになったのは自然な流れと言えましょう。

片埜神社は千年以上の歴史がありますが、戎大神が祀られたのは明治の合祀令からで、神社の歴史にあっては新しいのです。大々的にえびす祭を始めたのは先代宮司で、バブル期にはアドバルーンや宣伝の飛行機を飛ばしたそうです。当時は地元のおばちゃんらが笹に吉兆や縁起物をつけて授けていましたが、参拝者もおばちゃんもお神酒が入った状態で漫画のようなやりとりの後に初穂料が決まるという、なんでもありのお祭りだったようです。

私が東京から大阪に来たとき、すでにバブルがはじけてから久しく、日本の経済は長い低迷状態、おばちゃんらはお神酒テントに移動して常連客をお相手し、かわりに巫女さんが縁起物を授けていました。大阪出身の演歌歌手がショーをする時間帯は盛り上がるのですが、その他の時間帯は商売繁盛のお祭りにしてはちょっとさみしげな気がしたので、私は装束屋さんに電話して金の烏帽子を取り寄せ、巫女さんにかぶせました。笹や熊手や箕を参拝者にお授けするのが専門の、いわゆる「福娘さん」の恰好にしたのです。が、巫女に金烏帽子をかぶせたら自動的に福娘になると思ったのはまちがいで、福々しさというのは一種の才能、それは巫女とは別の才能だということがわかってから私の福娘さんを探す旅が始まりました。「七人の侍」の志村喬のように、これはと思う人たちに声をかけて一本釣りしていったのです。そうして集めた福々しい美女が授与所にずらりと並び、いざ出陣した時の高揚感は忘れません。こうした華やかさといったものは関西ならではで、日本の祭りではなぜか出番が少ない女性が、大手を振って表舞台に立てる場所でもあるのです。初代福娘の彼女たちは、今でも「美しすぎる黒ハッピ隊」(と私がなづけました)として活躍しています。

さて、そんな福娘さんを地域の人たちで選ぶ選考会をしようという話が持ち上がったのが5年ほど前で、神社だけではなく地元の商店主や自治会長さんや観光協会などが審査員になりオーディションで選ぶようになりました。「年刊 日本の祭り」の苦田編集長にも2度ほど審査員をお願いし、意見をうかがいました。

オーディションでは自己PRというのをしてもらいますが、これが実にバラエティに富んでいます。歌やダンスや外国語のスピーチはもちろん、「もしも〇〇が福娘だったら・・・」といったネタをする人、書道をする人、こまをまわす人、見事な剣道や空手の型を披露する人、細かすぎる物まねをする人、自作のフリップを使って地元愛を語る人等々・・・。毎回、全員に合格してほしくなるほど面白い。そしてもうひとつ面白いのが、女性審査員と男性審査員では、選ぶ人がまったく違うということです。

こうして狭き門を勝ち抜いた福娘さんたちは、地元を練り歩いてお披露目をします。神社から町へ出るときに段取りをしてくれるのがえびす祭の宮組で、もともとは地元のショットバーに集まっていた自営業の店主たち。今のところ男女が同数で、組長は女性です。

えびす祭では、縁起物を授かったら福引を引けるのですが、その福引景品は地元の個人商店からの奉納品で、お店で使える金券だったり、お店の商品だったり。えびす祭に来られた方が、地元商店にも足を運ぶ機会になればと、宮組主導でおこなっています。福娘さんは協力店をまわり、商売繁盛を祈念してお店の人と一緒に大阪締め(大阪流の手締め)をします。もう宣伝の飛行機を飛ばすことはたぶんないけれど、小さな福のサイクルがぐるぐる回るうちに、気づいたら大きな福になっていたらいいなあと思います。

(2022年1月執筆)

著者プロフィール

岡田桃子(おかだももこ)/ 1970年インド国ボンベイ市(現ムンバイ市)生まれ

国際基督教大学(ICU)教養学部理学科卒業。大学卒業後は、東京でフリーの取材記者として活動。結婚を機に、2000年4月より片埜神社(大阪府枚方市)出仕。2002年11月より片埜神社権禰宜。

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