日本の祭りレポート
あいおいぺーろんまつり
紀元前300年、楚の宰相だった屈原は懐王の補佐役として善政を行っていました。しかし讒言(ざんげん)で政界から退けられ、懐王も秦に捕えられて客死。屈原は楚の国運を嘆き、湖南省の汨羅江(べきらこう)に身を投じるのです。人々はそれを悲しみ、龍船で競漕して彼の霊を慰めたとか。それがペーロン(白龍)競漕の起源とされます。
そしてここは兵庫県相生。かつて造船会社IHI(旧石川播磨重工業)の社員の多くは長崎出身者でした。彼らは故郷を懐かしみ、大正11年会社の運動会としてペーロン競漕を始めます。彼らは言います。“相生に海がある限り”と。これは海を命とし、日本を支えた造船マンの誇りと故郷への想いの凝縮した祭りなのです。
【取材・文:苦田秀雄】
17世紀中頃に中国から長崎に伝来した「ペーロン競漕」が兵庫・相生の地にも伝わり発展した祭り。龍の姿をイメージした木の船「ペーロン艇」に、銅鑼・太鼓・漕ぎ手の総勢32人が乗り込み、600~900メートルの距離の速さを競います。勝敗だけにこだわるのではなく、全員が心を一つにする美しさが相生の海を華やかに彩ります。
※出典:ダイドーグループ日本の祭り