日本の祭りレポート
かんまいぎょうじ
仁和2年(886)、豊後国伊美郷の里人は京都石清水(いわしみず)八幡宮の分霊をもち帰る途中時化(しけ)にあい、祝島に避難。そこには貧しい家が3軒あるだけで、島民は食うや食わずの生活。でも彼らは伊美の人々を心からもてなしたとか。伊美の人々は感謝にと、島の人たちに麦の種をわけ与えました。それで島民は農耕を始め、神を祀ることを知り、生活が大きく向上。以降毎年3月に「お種戻し」として祝島の人々がほぼ50キロの周防灘を舟で伊美別神社に参拝。さらに4年に1度伊美の里楽師たちが祝島で神楽を舞い、合同祭礼をするようになりました。祝島の人々の伊美への感謝は1100年間変わらないのです。彼らの出会いは涙、別れもまた涙。「周防灘千年物語」です。いまの世の中にこういうことが残ってようとは。まさに文化の化石です。
【取材・文:苦田秀雄】
大分県国東市国見町伊美にある伊美別宮社のご神体と神職、里楽師を乗せた御座船が、約49キロ離れた周囲12キロの孤島、山口県の祝島に向けて出発し、祝島を斎場に神恩感謝の合同祭事を行う神舞行事。大漁旗で飾った奉迎船や伝馬船が織りなす勇壮な海上絵巻の入船出船神事等、千年以上前から続く県境を越えた祭りです。
※出典:ダイドーグループ日本の祭り