日本の祭りレポート
しんげんばらのひおんどり
天正3年(1575)、日本の歴史の分岐点となる「長篠・設楽原の戦」が勃発。武田信玄の庶子である武田勝頼(30)軍1万5千人、織田信長(42)・徳川家康(33)連合軍3万8千人の戦です。場所はこの祭りのある愛知県長篠設楽原。結果連合軍の大勝で、武田軍の死者1万人に対して連合軍は5千人。戦国一の武将を破った信長はここからまっしぐらに天下人としての道を進むのです。
戦が終わり、郷里を離れていた村びとが帰郷し、彼らが目にしたのは累々たる戦死者の山。人々は「信玄塚」を設け、敵味方なく死骸を葬ります。数年後、この塚から大量のスズメバチが発生。これは武田軍の戦死者の祟りだ、ということで松明を燃やして蜂を焼き払ったのがこの祭りのはじまりとか。祭り人たちは松明を8の字にまわし振って火の粉を飛び散らせます。
【取材・文:苦田秀雄】
長篠・設楽原決戦場という日本の戦国史を代表する山里、新城。その地に蜂を亡霊と考え死者の霊を慰めようと446年前に始まった祭り。火おんどりでは「お種」と呼ばれる浄火が松明に灯されます。鉦や太鼓の囃子に合わせて、祭り人は大きなもので高さ3メートル、太さ2メートルを超える松明を、あたかも斬り合う武士のように振りかざして踊ります。