日本の祭りレポート
しらひげじんじゃほんまつり
この祭りは東向島の図子とよばれる地域割の単位で運営されています。図子とは大路と大路をむすぶ小路を意味し、かつての営農単位のこと。江戸時代、向島は文芸文化のふるさととされ、その面影はいまに残ります。そして、ここには新しい住民も優しく迎えてくれる東京下町の包容力があり、昭和の匂いがあります。
神幸はあおり獅子から始まりました。巨大な獅子頭が「ゆたん」(胴体部分の衣)をくねらせながら道路を走ります。神輿は町内の隅々まで練り、図子から図子に受け渡されます。担ぎ手の“せいや せいや”の掛け声も軽やかで小刻みな動きがいい感じ。この祭りにみたのは江戸町民の心意気。
【取材・文:苦田秀雄】
隅田川の東岸・墨東地区最初の夏祭りで、3年に一度、嘉永元年(1848年)に作られた神社神輿が巡行します。戦前は周辺三神社に計13基の神輿があり、最も大きい白鬚神社の神輿が「十三番」の番札をつけたことから、「十三番神輿渡御」とも呼ばれ、地域の安寧(あんねい)を祈り、古くからの格式を守って斎行(さいこう)されています。