日本の祭りレポート
やまのぐちやごろうどんまつり
大和朝廷は隼人族を国の枠組に入れるべく、八幡神(応神天皇)を掲げて武力でこれを制圧。その後、南九州一帯に疫病が流行。これは隼人の祟りであるとされ、「放生会(ほうじょうえ)」を行い彼らの霊を慰めるためにこの祭りが始まったといいます。
ハイライトは「浜殿下り」です。それは「弥五郎どん」を先頭に、神馬、神職、巫女、3基の神輿でおよそ600メートルの参道を下る神幸。これは的野正八幡宮祭神の応神天皇が池之尾神社に祀られている母君の神宮皇后に対面するもので、「弥五郎どん」がそれに随伴します。そこでは南九州に伝わる奉納芸能が次々と披露されます。少し離れた場所からそれをじっと見る「弥五郎どん」。その瞳はえもいわれぬ哀愁を。それは誇り高い隼人族が朝廷の枠組に組み込まれた哀しさなのでしょうか。「弥五郎どん」は隼人の首領とされているのです。そんな彼に地域の人々は限りない愛を注いでやまないのです。
【取材・文:苦田秀雄】
山之口弥五郎どん祭りは、身の丈4mの弥五郎どんが四輪の台車にまたがり先導する、古式ゆかしい一大絵巻の浜殿下り行列(御神幸行列)です。顔にはいかめしい朱面を被り、頭上には三つ又の鉾を付け、竹で編まれたご神体は麻の薄い着物1枚しか着ていませんが、そのゆかりのものに触れると病気をせず、一年中元気で過ごせるといわれています。
※出典:ダイドーグループ日本の祭り