日本の祭りレポート
ふくのよたかまつり
富山県福野は江戸時代の町づくりからわずか2年後の慶安5年(1652)2月、大火により神社を含め64戸が焼失。そのため神迎えをして神社を再建しようということで、伊勢神宮から天照大神のご分霊をいただくことに。その帰り、使者たちは倶利伽羅峠(くりからとうげ)で日暮を迎えます。それを案じた町民が行燈を手に迎えに行ったのがこの祭りの起源です。
行燈は「夜空に高々とみえる行燈」ということで、ついた名前が「夜高行燈」。高さは大行燈が6メートルほど。若連は“よいやーさー”の掛け声で街を曳き、行燈山車がすれ違えば行燈の若者が思いっきり手足を伸ばし、相手の行燈を蹴破ります。これは儀礼的喧嘩で、激しく痛めれば痛めるほど神様が喜び、豊作が約束されるということです。
【取材・文:苦田秀雄】
笛や夜高太鼓の前触れと勇壮快活な夜高節の唄声と共に、高さ約6.5メートルの大行燈7本及び中小10本の町内の夜高行燈が町内を練り回す様は迫力満点。若衆の勇ましい掛け声が響き渡る夜高祭の最大の見どころは7本の大行燈が狭い通りをすれ違う際に行われる「引合い」と呼ばれる行燈の壊し合いです。